アーティスト・個人アプリ開発者の廣川政樹です。Gemini Lab を運営しています。
連休の谷間の月曜の夜、自宅の机で少し気まぐれに、自分の Dropbox の dev_notes/ フォルダを全部 zip にしてみました。2014年に個人開発で独立してからの12年分の開発メモ、リリース日記、AdMob の月次レポートの所感、Crashlytics で詰まった夜の走り書き、App Store 審査のリジェクト履歴、コードレビューの自己メモ、ストア説明文の没案。全部です。zip 解凍前で 38MB、テキスト換算でおよそ 70 万トークン。Gemini 2.5 Pro の1Mコンテキストにちょうど収まるサイズでした。
なぜそんなことをしたのかというと、Google I/O 2026 の前後でロングコンテキストの話を何本か記事に書いていて、自分自身が「1Mトークンを本気で使ったことがない」という感覚がずっと引っかかっていたからです。サンプルデータで触ったことはあっても、自分にとって意味のある70万トークンを丸ごと渡したことは一度もなかった。アーティストの先輩から「本当に分かりたかったら、まず一度全部やってみなさい」と言われた17歳のころの感覚を、ふと思い出した夜でした。
結論からお話しすると、要約させるよりも「過去の自分に質問する」という使い方をしたときに、これは個人開発者にとって違う種類のツールなのだと感じました。今日は、静かに揺さぶられた4つの気づきをお話しします。
気づき①:12年前の自分は、いまの問題の答えを既に書いていた
最初に試したのは、その週ずっと悩んでいた小さな技術判断についての質問でした。Beautiful HD Wallpapers v2.1.0 で広告ロード失敗時のリトライ戦略を見直そうとしていて、指数バックオフの初期遅延を 500ms にすべきか 1000ms にすべきかで決めきれずにいました。
「dev_notes/ の中で、広告のリトライ間隔について自分が過去に出した結論はありますか?年月日と判断の根拠を引用してください」 と Gemini に投げました。
返ってきたのは、2018年9月の自分のメモでした。当時 AdMob のフィルレートが急落した時期に、「初期遅延 750ms、最大3回、ジッターを ±150ms 入れたら fill_rate が 81% → 89% に戻った」と書いてありました。完全に忘れていました。さらに 2021年と 2023年にも似た議論をしていて、3回とも近い結論に着地していたことが分かりました。
これが面白いのは、「Gemini が答えを出した」のではないということです。答えは8年前の自分が出していて、Gemini はそれを「探して持ってきた」だけです。けれど70万トークンのメモから該当箇所を3秒で抜き出せるという事実は、個人開発者の意思決定の質を1段階押し上げます。「過去の自分は意外と賢かった」と気づかせてくれるツール、という言い方が一番近いです。
気づき②:同じ失敗を、ほぼ3年ごとに繰り返している
次に、半分冗談で 「過去12年で私が同じ失敗を繰り返しているパターンがあれば、3つ挙げてください」 と聞いてみました。返答は予想以上に痛いものでした。
ひとつめは「新機能のリリース直後に売上を見て一喜一憂する癖」。2017年、2020年、2023年に、新機能リリース後3日目に売上が伸びなかったことで深夜に過剰反応したメモが残っていました。Gemini はそれを年表として並べて、「3日目で判断する習慣が、いずれの年も後悔につながっています」と淡々と指摘してきました。
ふたつめは「iOS の StoreKit 移行を毎回ぎりぎりまで先延ばしする傾向」。StoreKit 2 への移行ノートは2022年から散発的に書かれていて、結局2026年5月になってまとめて4アプリ分やる羽目になっていました。これも今まさにやっている作業なので、笑うしかありませんでした。
みっつめは「アート活動が国際的に評価された直後に、アプリ事業の改修を急ぎすぎる」。2023年に A'Design Award で金賞をいただいた直後、2025年に Luxembourg Art Prize を受賞した直後、いずれも翌週から無理なロードマップを引いていたメモが残っていました。これは正直、まったく自覚していませんでした。
Gemini が偉いのではありません。12年分の自分の言動を時系列で並べられる相手と話せる、ということ自体が新しいだけです。それでも、3つのパターンを言語化されたあとは、4つめを引き起こさないための小さな工夫を翌朝から実装する気力が湧きました。
気づき③:アプリ事業の収益曲線と、アート活動の作品制作期は連動していた
3つめの問いは、ずっとなんとなく気になっていたことを言語化したものでした。「2014年以降のアプリ売上の月次推移と、私が制作したアート作品の完成日を並べたときに、何か関係が見えますか?」
Gemini は「収益の伸びが鈍化した四半期の直後に、新しい作品系列が立ち上がっている傾向があります」と返してきました。具体的には、2017年 Q2 のアプリ売上停滞のあとにフォトコラージュ作品『記憶の層』シリーズが始まっていて、2020年 Q3 の停滞後に立体作品の試作が始まっていて、2024年 Q1 の停滞後に LA ART SHOW 出展作品の準備が始まっていました。
これは因果ではなく相関に過ぎないでしょう。けれど、アプリの数字が止まったとき、自分はアートに逃げているのではなく、別の表現で「次の主題」を探していたのかもしれない、と思えました。2019年に吉祥寺駅の上空で光の輪を見たときの「直感が来た」という感覚に近いものが、収益の停滞期に静かに起きていたのだとしたら、それは責めるべき習慣ではなく、信じてよい習慣なのだと思います。
宮大工だった両祖父が「手を動かしていれば、いずれ次の仕事の形が手の中に出てくる」と言っていたことを思い出しました。70万トークンの自分のメモは、その言葉の意味を12年越しに少しだけ証明してくれた気がします。
気づき④:次の12年のために、何をやめるかが見えた
最後に、「もし私が今後の12年でやめてもよいことが3つあるとしたら、過去のメモから推薦してください」 と聞きました。
返ってきたのは、(1)「リリース当日の Twitter エゴサ」、(2)「四半期ごとの App Store スクリーンショット差し替え疲れ」、(3)「年末年始に必ず立てる、達成できない学習ロードマップ」の3つでした。それぞれ、過去12年で「やめようと思った」と書きながら12年間やめていない記録が、Gemini によって正確に引用されていました。
12年やめられなかったものが、AIに3秒で指摘されて、それで本当にやめられるとは思いません。けれど、「過去の自分が12回も同じことを書いていた」という事実を見せられると、13回目を書きたくない、という気持ちは少しだけ生まれます。次の12年のために何を始めるかよりも、何をやめるかの方が大事だ、ということが、自分のメモの中から立ち上がってくる経験は初めてでした。
まとめ — 70万トークンの自分のメモを持ち歩く時代
Gemini 2.5 Pro の1Mコンテキストは、ベンチマークやコードレビューに使う機能として語られることが多いですが、個人開発者にとっての本当の価値は、もしかしたら別の場所にあるのかもしれません。自分の過去を、いつでも問い直せる対話相手として持ち歩ける、というのが、12年分のメモを渡してみた夜に静かに感じたことです。
12年分のメモを zip にする必要はありません。直近の1年分のリリース日記でも、半年分の Crashlytics ノートでも、3ヶ月分の収益記録でも構わないと思います。要約させるよりも、「過去の自分に今日の質問をぶつける」使い方を、ぜひ一度試してみてください。同じ失敗を繰り返している自分に出会うのは少し恥ずかしいですが、3年に一度くらいは、その恥ずかしさが次の一歩になるのだと感じています。
私はこれから当面、毎月の最終月曜の夜に、その月の dev_notes/ を1Mコンテキストに渡して「今月の自分に質問する30分」をルーティンにしてみるつもりです。次の12年を、過去の自分の声を借りながら歩いていけたら、と思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。